1890年 4月19日、北海道開拓の行政基地として形成されつつあった札幌に室蘭、函館、伊達の諸教会から移住して来た信徒たち20名が集い、「日本基督一致教会札幌講義所」を開設したのが始まりです。
1894年、大通西3丁目に会堂を建設し1895年に教会が創設されて以来、札幌の歴史と共に歩んできました。
北星学園の創始者であるS.C.スミスおよびその後継者たちはアメリカ長老教会の宣教師として来日しました。
北星学園の宣教師たちは、第2次世界大戦前この教会の会員となり、互いに協力し在って教育と教会形成に励んできました。
現在の礼拝堂は、1979年に建設されたもので、日曜日ごと礼拝で神を讃美する歌声にあふれています。
当教会は三浦綾子の小説にもたびたび登場してきます。
1890年 4月19日、北海道開拓の行政基地として形成されつつあった札幌に室蘭、函館、伊達の諸教会から移住して来た信徒たち20名が集い、「日本基督一致教会札幌講義所」が開設され、このときに、牧師として菅田勇太郎を迎えました。
1891年に「日本基督教会札幌講義所」と改称。
1894年、市内大通西3丁目に会堂を建設、会堂屋根の先端に風見鶏の飾りがあったため、市民から「鶏教会」と呼ばれましたが、1907年の札幌大火によって焼失。
講義所は、札幌農学校・北星女学校の関係者たちに支えられて、1895年「札幌日本基督教会」として名前も新たにスタートをし、北一条教会が誕生。
二代目牧師信太寿之に続いて、清水久次郎牧師(1897~1913年)、高倉徳太郎牧師(1913~1918年)、小野村林蔵牧師(1918~1961年)による牧会がなされ、教会の精神的気風が形成された。
第二次大戦後、森好春(1953~1957年)、野木源治郎(1955~1961年)、山田滋(1958~1991年)、中村静郎(1971~1974年)、杉浦ちゑ(1975~1990年)、久野牧(1991~2006年)、堤隆(2006~2023年)が牧会をし、現在は牧師の田中康尋がその任を行っています。
教会名も時代と共に、1907年日本基督北辰教会、1920年札幌日本基督教会、1941年札幌北一条教会へと改称。
「鶏教会」の焼失後、1927年北1条西6丁目の地に、著名な建築家ライトに師事した、田上義也の設計によって会堂を建築しましたが、これは札幌を代表する建築物として市民に親しまれました。
1979年、現在の北1条西13丁目に新会堂を建築・移転し、再び田上義也によって会堂の設計がなされました。
当教会を母体として、札幌琴似教会、札幌桑園教会、札幌発寒教会、札幌白石教会、森林公園教会が誕生しました。